ムービー
松井寛泰
撮影
2018年9月9日
本
ロドルフ・ラシャ 編
エミリ・エヴァンス 文
2018年12月10日
グラフィック社
テキスト
私は2008年より「骨花」というアート制作に取り組んできました。死んだ動物を解剖し、その骨や毛皮を花のかたちに組み立て、写真に撮る。撮影の後、骨の花は土に埋めて、写真のみを残す、という作品です。
花にする骨はペットショップで爬虫類や猛きん類の餌用に売られている冷凍ネズミを使います。ペットのために生まれ死ぬ彼らは、現代社会の人工的に管理された自然の象徴に思えました。彼らの命を美と生の象徴である花に転換し、「弔い」という行為を芸術的に見つめ直すことを意図しています。
骨は削ったり折ったりしません。自然のかたちを生かし、接着剤を使って花のオブジェに組み上げていきます。一つ仕上げるのに長いと1年かかります。多い時は200匹の骨を使います。花ができたら4×5インチの大判カメラで撮影します。その後、花は解体します。木の箱などに納めて見晴らしのいい土手などに行き、丁寧に土に埋めて葬ります。「保存すればいいのに」と言われることもあるが、美しさとは「はかなさ」だと思います。花は散るから美しい。だから残すことはしません。
なぜ骨と花を結び付けたのか?とよく聞かれます。理由は二つありました。一つ目は普遍性。人類にとって「骨」は最も古い素材の一つです。なによりも私たち自身の体を内側から支えています。「花」もまた普遍的です。あらゆる文化や宗教にとって、花は美の象徴、生のシンボルです。死者に花をたむける行為はネアンデルタール人もしていたといわれます。骨花を始める前、私は博物館で石器をみてとても感動しました。その痕跡に、数万年の時を超えて、作り手の美しく作りたいという意志を感じました。それ以来、わたしも彼らに見せても通じる普遍的なものを作りたいと願っています。理由の二つめは、相反するものの統合です。生と死、動物と植物、美と醜、色彩とモノクローム、創造と破壊。そんな対となる要素を結びつけることを意図しました。分裂した価値観を問い直し、根源的につなぎ直すことはアーティストの重要な役目であるとわたしは信じています。
2015年には「作品を残す」ことについてもう一度考えてみるため、「脳花」というシリーズを作りました。子羊の大脳でつくった花。それが、冷凍機能のついた展示台の中で咲いている、という作品です。電気が通じている間は形を保つが、停電になってしまったらくずれてしまう。システムの維持と崩壊をテーマとしました。
初めは「誰も思いつかない作品を作りたい」気持ちが強かったが、次第に「芸術的に弔いの行為を見つめ直し、命の美しさ、かけがえなさを表現したい」思いが勝るようになりました。私たちの社会はいま、AI技術や遺伝子操作医療なども進み、これまで当たり前とされてきた「生命」の定義が大きく揺らぎ始めています。現代社会の命のあり方について、宗教や医療とは違った切り口で、アートにしかできないことをこれからも問うていきたいです。
メディア
2018年7月25日
文化面
骨はさまざまな生き物をつなぐ存在だ。魚類、爬虫類(はちゅうるい)、両生類、みんな骨がある。もちろん人間を含む哺乳類も。暗室を兼ねたアトリエに籠もって動物の骨を手にしていると、自分の存在の根幹に戻れる気がしてくる。死んだ動物の骨をハスやユリなどの花のかたちに組み立て、モノクロ写真に撮っている。撮影の後、骨は土に埋めて丁重に弔う。一連のプロセス全てを「骨花(ほねばな)」という作品に見立て、10年続けている。初めは「誰も思いつかない写真を撮る」気持ちが強かった。だが次第に「芸術的に弔いの行為を見つめ直し、骨を通して命の美しさ、かけがえなさを表現したい」思いが勝るようになった。
「君は何も知らない」
きっかけはどこまで遡るだろう。1997年に東京の写真専門学校を卒業し、郷里の鹿児島に帰った。養蜂家に弟子入りし、ミツバチを飼っていた。小さい頃から生き物が好きで、そのままプロの養蜂家として身を立てようかと考えていた。骨に興味をもったのはその頃のことだ。2004年、野生のタヌキが1匹、道端に倒れているのを見つけた。交通事故にでも遭ったのだろう。家に連れて帰ったが、手遅れのようで息もしていない。どうやって葬ろうか。思いついたのが、骨にすることだった。中学校の理科の先生が骨格標本の作り方を解説する「骨の学校」という本を読んだことがあり、自分でも一度やってみたかった。ところが、いざ解剖しようとすると、怖くて手が動かない。「気を失っているだけかもしれない」。そう思うとメスが入れられないのだ。生死の区別さえできないことにがくぜんとした。3時間迷いに迷い、勇気を振りしぼって解剖を始めた。それでも手は震え、前に進まない。何とか骨を取りだし、精根尽き果てた。「君は生と死について何も知らない」。タヌキの骨はそう語りかけているようだった。その後、骨と花が結びついたのは、写真で身を立てようと再び上京してからのことだ。08年、ある日の夕方。銀座の交差点にある喫茶店の2階席から外を眺めていた。雨が降り出して、色とりどりの傘が開く。まるでハスの花が水面に咲くようだ。その時「骨で花を作って、写真に撮る」というアイデアが天から降ってきた。ハス、ヒマワリ、ヒガンバナ。花にする骨は、一片があまりに大きいと扱いづらい。そこでマウスを使うことにした。ペットショップで爬虫類や猛きん類の餌として売っている冷凍マウスを解剖し、骨を取り出す。ペットのために生まれ死ぬ彼らは、現代社会の人工的に管理された自然の象徴に思えた。
自然のかたちを生かす
骨は削ったり折ったりしない。自然のかたちを生かし、接着剤を使って花のオブジェに組み上げていく。例えば肋骨はハスの花びら一枚一枚に。しっぽは茎、足は中央の花托(かたく)になる。肩甲骨はツバキの花びらに、毛皮はなめして葉に生まれ変わる。空港や市場などでフォークリフトの運転手をして生計を立て、残る時間を制作に充てる。細かい作業の連続なので、一つ仕上げるのに長いと1年かかる。必要な骨も膨大だ。100匹、多い時は200匹の骨を使う。花ができたら4×5?の大判カメラで撮影する。そのまま撮ると、いかにも標本写真のようで生気がない。小さなマウスがはかなくも紡いだ命に敬意を払うためにも美しく撮りたい。接写したり、ピントを甘くしたりして、風にそよぐ一瞬の生をとらえるような工夫をしている。撮影後、花は解体する。骨は木の箱などに納めて見晴らしのいい土手などに行き、丁寧に土に埋めて葬る。「解体せずに作品として保存すればいいのに」と言われることもあるが、美しさとは「はかなさ」だと思う。花は散るから美しい。だから残すことはしない。
命のあり方考える縁に
初めは人に見せても理解してもらえなかったが、徐々に理解者が増えて興味を持ってもらえるようになった。最近では海外での展示も増え、今春は米ニューヨークのギャラリーで個展を開いた。しかし活動が広がってもベースにあるのは「君は何も知らない」という 、あのタヌキの声だ。骨と花は互いに死と生のイメージを強く呼び起こす。現代社会の命のあり方について、宗教や医療とは少し違った切り口で考える縁(よすが)として「骨花」を育てていきたい。
(とくしげ・ひでき=現代美術家)
コラボレーション
アートマーケットサンフランシスコ, SF, アメリカ
2018年4月28日、29日
江澤 淳
長唄 松の緑
アートフェア
2018年4月26日-29日
サンフランシスコ,アメリカ
メディア
2018年5月1日
Renee LaVerne Rose
56ページから93ページまで
メディア
2018年3月27日
個展
2018年3月14日-4月21日
GALLERY KOGURE NEW YORK /USA
434 Greenwich Street, New York, NY 10013
日、月休廊
11:00-18:00
オープニングレセプション
3月14日水曜日 18-21:00
( TRIBECA ART+CULTURE NIGHT )
Otome-Camellia, from the series Honebana, 2017
[open] W192×H118.5×D5cm
[close] W96×H1185.5×D10cm
Edition 1/1
ピグメントプリント(アルミニウム板張り)、両開き木製額
観音開き木製額は、開いたとき2メートルの幅になる。
購入者は、骨花オトメツバキプロジェクトのいちメンバーとなり、以後のプロセスに参加することができる。アーティストと "土に還す"工程に参加できる。プ
ロセスはビデオ撮影し編集される。購入者が土に還す際の写真が額の横側に追加される。扉が閉じた時、その画像が中央に来る。そこまでのプロセス全
体がこのアートワークにふくまれる。
2017年3月、アーティストは「自分の死後に、骨をアート作品にしてくれる人を探しています」というメールを海外から受け取った。彼らは電子メールの交換を始める。2017年3月から2018年1月まで、11ヶ月の記録。
Dialogue, 2018
30×30×3cm
Edition of 10 with 5 APs
Ipad、アクリル板、紙
" What traces would you like to leave when you die? "
「あなたが死んだときに残したい痕跡は何ですか?」
ギャラリーの壁にはある質問を書いた。訪問者はそれぞれ答えを紙に書き、壁に飾り付けた。
アンナ・シンプソン(1983年生まれ)は現在、個人としてまたは社会として、人々がいかにマインドフルでいられるかについて考え、実行することに心血を注いでいる。企業や社会の未来について語った本を2冊出版。複雑な環境下で変化に順応できるようイノベーション・コーチとして人々を指導。また、持続的な変化を追うオンライン・コミュニティー、「フューチャー・センター」のキュレーターでもある。彼女の最新作“The Innovation-Friendly Organization”(2017)(仮題:『イノベーション・フレンドリーな組織』)では、いかにして組織が変化を歓迎できる文化を培えるかについて語っている。“The Brand Strategist’s Guide to Desire” (2014) (仮題:『ブランド戦略家による欲求への手引』)では、ブランド企業に、短期間の売上よりも長期間の達成感に重きを置いてみるよう提案している。過去にはジャーナリストとして、持続可能な解決策について語る雑誌「グリーン・フューチャーズ」の編集者として活躍した。イギリス育ち。オックスフォード大学で国語(英語)とフランス語を学んだ後、東洋アフリカ研究学院にてジェンダー研究の修士学位を取る。
メディア
web site
2018年3月
個展
2018年1月12日-2月3日
GALLERY KOGURE NEW YORK/USA
434 Greenwich Street, New York, NY 10013
日、月休廊
11:00-18:00
本
2018年1月第2版
1000部
撮影
松井寛泰
撮影
2018年1月
論文
1章:はじめに
1-1:骨花
1-2:写真であることの意味
2章:死の歴史といま
2-1:不気味さの境界線
a) 骨花のいるところ
b) 死の歴史
c) 聖/俗、浄/不浄
2-2:死の儀礼
a) 根源的な死
b) 死を囲む儀礼
2-3:生命と社会のいま
a) 生命倫理
b) 生命を取り巻く技術の発展と問題
3章:救済としての「骨花」
3-1:歴史(家)と写真-「ヒマワリ」
a) ベンヤミン的歴史のなかでの時間
b) post morterm photography と喪
3-2:まなざしのポリティクス
a) 超越的死化粧と再現性
b) 不気味さのポリティクス
終章:おわりに/ヘテロトピアより
グループ展
2017年12月15日-25日
スパイラルガーデン
/東京
プロセス / 花を作る
2017年9月
花びらを作るために使われた骨は、主にラットの肩甲骨。 一つの花は40対の肩甲骨 で、全体では200対で出来ている。 ネズミも人間も、背中にそれぞれ2本の肩甲骨が あります。 それは肩の上腕骨につながり、また首の側の襟骨にもつながる。 幅と カーブがあるので、カーネーションにも使用した。
花の中心には、マウスの小さな肩甲骨を使用。 そのまわりを囲む部分にはラットの 肩甲骨(最も一般的に使用される)、最外部はモルモットである。 モルモットの肩 甲骨の縁はマウスやラットの縁よりもまっすぐであり、イチョウの葉の形に似てい る。 おなじ種類の骨で作られているようで微妙に異なる。
グループ展
2017年8月18日-27日
スパイラルガーデン
/東京
グループ展
2017年3月4日-18日
Gallery YUKI-SIS
/東京
日、月休廊
12:00-19:00
東京都中央区日本橋本町3-2-12 日本橋小楼202
プロセス / 花を作る
2017年1月
本
Rodolphe Lachat
2016年10月18日
Cernunnos
プロセス / その後
2016年6月-9月
テキスト
2016年6月
「骨花」と「脳花」。この二つのシリーズは花という同じテーマを裏と表の二面から表現したものです。骨花は自然側からのアプローチであるのに対し、人工的環境からアプローチしたシリーズが脳花。
肉体ある以上、死から逃れることのできないわたしたち。花は私にとって「時間を越えた美しさ」であり、「肉体を越えた一人一人のかけがえのない物語」を意味しています。
メディア
2016年6月22日リリース
プロセス / 壊して、土へ還す
2016年4月12日
グループ展
2016年3月12日-26日
Gallery YUKI-SIS
メディア
TV
2016年2月26日
フジテレビ
論文
1章:骨花
1-1:美しくて不気味な作品
1-2:徳重秀樹と骨花
2章:死と写真
2-1:観者はどこにいるのか?
2-2:時間の混在
2-3:「かつて-そこに-あった」ものを確かめる
3章:死と骨
3-1:生命のありかと不気味さ
3-2:閾的な骨と不気味さ
3-3:背徳感と共犯
4章:写真と骨花
4-1:喪の仕事としての骨花
4-2:骨花にとっての写真を撮ること
4-3:幾重もの殺害とトラウマ
5章:結論
5-1:世界は掴めない。旅はまだまだ続く
Online Gallery
2016年2月
アートフェア
2015年10月3日-7日
香港
プロセス / 壊して、土へ還す
2015年9月22日
アートフェア
2015年9月4日-6日
福岡
個展
2015年5月30日-6月13日
LOWER AKIHABARA.
脳花 / バラ
2015
子羊の脳, グリセリン, ジェルメディウム, 冷凍庫, ステンレス, アクリル, ベビーパウダー, 木材
#01 ブリランテ 7.5×7.5×6cm
#02 サムライ 9×10×6.5cm
#03 オレンジチャンス 9×10×6.5cm
#04 ロードス 7.5×7.5×4.5cm
#05 リリーマルレーン 14×18×7cm
#06 ユカカップ 10×10.5×7cm
冷凍庫サイズ 40.5×55.5×79cm
Illustration : 上田風子
「脳花」について >>
ARTIST DATABASE 展覧会情報 >>
個展 2013年 「骨花 -月下美人-」 >>
グループ展
2015年5月11日-17日
伊勢丹新宿店アートギャラリー
プロセス / 写像を残す
2015年5月
グループ展
2015年4月15日-21日
伊勢丹新宿店アートギャラリー
グループ展
2015年1月16日-2月14日
Gallery Art Composition
プロセス / 写像を残す
2015年1月
MERRY
2014年12月22日-2015年1月5日
2014年12月24日リリース
ラウドロックポータルサイト >>
MERRY 「NOnsenSe MARkeT FINAL」 LIVEDVDアートワーク >>
グループ展
2014年11月8日-22日
Gallery YUKI-SIS
撮影
2014年8月2日
グループ展
2013年10月12日-26日
Gallery YUKI-SIS
プロセス / 壊して、土へ還す
2013年8月28日
メディア
News Website
2013年7月31日
by Liat Clark
グループ展
2013年7月13日-22日
Bunkamura Gallery
プロセス / 花を作る
2013年6月
テキスト
2013年6月
Q, 何をきっかけにこのプロジェクトをやろうと思ったか
9年前のある朝、わたしは車にひかれて死んだタヌキを発見した。ちょうどそのころ、骨の取り出し方について書かれた本を読んだ後だった。その本はとてもユニークで興味深かった。 本のように骨を取り出してみたいと思った。怖くて、気持ち悪く素手では触ることもできなかったが、わたしはそのタヌキの死体を家に運んだ。
風呂場にそれを横たえた。本にはこうあった「まず腹にメスを入れる」。しかし、わたしにはできなかった。なぜなら、彼はまだ生きているのではないかという疑問が消えなかったからだ。
それは冷たかったし、息もしていない。脈もない。それでも、気絶しているだけではないかという心配が消えなかった。100パーセント確信できなければ、メスを入れることはできない。メスを入れたとたん生き返り、部屋を走り回るという想像は悪夢だった。
日本の都市生活のなかで育った私にとって、死体とは理科室や博物館、あるいは肉屋や魚屋で見るものだった。そこでは、死んでいるかのジャッジは、ほかの人がしていた。飼っていた小鳥が死んだときも、親が死んでるといった。死んでいるか、そのジャッジは必要なかった。
これまで生きてきて、死んでいるか生きているかのジャッジを自分だけでしたことがなかったということに、そのときわたしは初めて気がついた。死んでいるか生きているかすらわたしは分からないことに、自分でも驚いた。
それはとてもショッキングな出来事だった。死が分からないということは、生がわからないということだ。わたしは何も知らないことを知った。
Q, 作品の材料としてねずみの骨を選んだ理由など
わたしのアートワークの願いは、人種も国も超えて人類が共有する根源的なもの、深い精神の母型のような核をつかむことだ。
遠い昔の恐竜が栄えた時代、私たち哺乳類の祖先は、マウスのような体つきで生き延び、いまにいたるまで進化を遂げた。作品にマウスの骨を使うことは、哺乳類の原型に近づくことを意味する。
ネズミの解体をすると、身体のつくりはヒトとほとんどかわらない。
実際に使用するネズミとラットは、ペットフードとして売られている冷凍ネズミである。それらはヘビやフクロウのエサである。無菌のゲージの中で人工的に生まれさせられ、育てられ、殺されて、冷凍させられ、エサとなる。
私もふるさとでは犬を飼っているが、ペットは人のために存在している。その存在は自然と人口のあいだにある。そのペットのエサとして売られている冷凍ネズミは、さらに人工的なものである。
わたしは冷凍ネズミを、わたしたちの人工的な都会の中の自然の象徴だとおもう。
Q, なぜ花をつくるのか
死者に花を手向けるという行為は、民族や国家、時代を超えて、人類共通のものだ。絶滅したネアンデルタール人も、死の世界へと旅立つ友のまわりを、花で囲んで見送っていたという研究結果もあるそうだ。
死と花の結びつきは強く、古い。われわれ人類はむかしから、祈りの願いを花に込め続けてきた。根源的な祈りのプロセスをみつけたくて、私は骨で花をつくる。
Q, 工程について
解剖から骨の取り出し、組み立て、撮影、フィルム現像もプリントも。土に還すまでのすべての工程を、作家自身の手で進めている。 撮影もまた4×5インチ大型フィルムカメラを使用し、じっくりと時間をかけて骨花と向かい合い撮る。
テキスト
2013年6月
1) いつ骨花をつくりましたか?
2008年から骨花を作り始めました。骨を取り出し、花を作るという行為が、ほかの人にどう思われるのかわからなかったので、3年のあいだ作品を見せることはしませんでした。
2011年の3月、ご存知のように日本では東日本大震災がおこり、原発事故が発生しました。私がそのころ住んでいた東京でも、頻繁に起きる地震で建物が揺れ、不安定な日々が長く続きました。日本に住んでた多くの人たちがそうであったように、私にとってもそれは自分の生き方を、そして存在の意味を見つめなおす時期でもありました。それまで人に見せたことのなかった「骨花」を、発表しよう、地震はそのきっかけになりました。展示の準備を始め、震災から半年後に、初めて骨花を発表しました。その展示でグランプリをもらい、今に至っています。
2) 作品をつくるのにどのくらい時間がかかりますか?
すべての工程は一人でしており、解剖も一匹ずつすべて自分でしているので解剖が一番多く時間がかかる工程です。私の作品はネズミの骨を取り出すことから始まります。だいたい一つの花で100匹前後のネズミの骨を使います。最近は毛皮も使っています。解剖するだけで1ヶ月以上かかることもあります。
3) それらは本当の骨ですか?もしそうならば、どこで骨を見つけるのですか?どんな動物からとった骨ですか?
骨はペット屋さんでエサとして売られているマウスとラットのものです。かれらは「冷凍ネズミ」と呼ばれています。ヘビやフクロウを飼っている人は、凍った彼らを解凍してからエサとして与えます。最初、私はそれを知らなかったので、そんなものが売られていることに驚きました。人間のためのペットのために生まれさせられ、育てられ、殺され、冷凍される。それは、私たちが住む現代社会のなかの自然をまさに象徴していると感じました。わたしはむしろ人より怖がりなほうで、スプラッターやホラー映画も苦手です。だから最初は死体に触ることに抵抗がありました。しかし回数を重ねるほど、冷凍ネズミに対し親近感をかんじるようになりました。
4) もしもそれらがフェイクの骨ならば、どうやってその骨をつくるのですか?
私は花を、実際の骨を組み合わせてつくっています。針金や支持体は使用しません。使うのは骨を毛皮、それと接着剤だけです。なぜならすべて土に還すようにするためです。骨花は撮影した後、骨花はバラバラに壊してから土に埋葬します。そのときに私は本質的なことに興味があります。
5) 作り始めから出来上がりまで、骨花をどのように作るのかひとつずつ説明してもらえますか?
骨花の工程を、私はいつもこのようにシンプルに説明しています。Take bones out, Make flowers, Leave images, Break, Return to the earth.
たとえば肩甲骨を触っているうちに花びらに見えてきたり、骨の形から作る花を連想することが多いです。私は骨を削ったり加工したりしません。それぞれの骨のかたちをそのまま生かします。思っている以上に骨の種類というのは少ないものです。組み合わせ方をいろいろ変えることで花にしていきます。
おおよそのアイデアが決まったら、解剖の作業に入ります。そのあとようやく、組み立ての工程です。
撮影は4×5インチの大型カメラで撮影し、プリントはゼラチンシルバープリントで行います。すべての工程をすべて自身の手で行います。それは、私は骨花を埋めるまで、行為それ自体がアートワークだと考えているからです。それぞれの工程は淡々としたものです。
6) いままでどんなタイプの花を作ってきましたか?
「骨で花を作る」というアイデアが浮かんだとき、いちばん最初にイメージしたのはハスの花です。骨でできたハスの花が水面に浮かび、花開くビジョンが見えました。ハスの花は東洋では宗教的な花として知られています。 そのあと、ヒガンバナを作りました。この花も日本ではあの世を連想する花として知られています。 宗教的な花ばかり選んでいるわけではありません。そのほか、ユリやタンポポやアジサイなど、これまでに11種類の花を作ってきました。
7) それらを売ってますか?もしそうならばいくらですか?
私の作る骨花は、撮影したら埋葬するのでカタチが残りません。展示会で一度、あるいは違う国でもう一度だけ、実際の骨花を展示する機会をもちます。たとえば、最新作の「月下美人」という骨花は、現在パリのギャラリーで展示中(7月20日まで)ですが、この展示が終われば「骨花ー月下美人」を見るチャンスはありません。展示に来てくれた方たちだけが見ることができます。私は展示を直接みてもらえるという体験を大事なことだと考えています。なぜならそれは,二度とこない「今を生きる」というリアルな体験だと思うからです。
また私は基本的に、観客が展示で作品をカメラ撮影することを許しています。それは、骨花の写真が一枚でも多く残ることを好ましく思うからです。
8) 骨花からどんな反響を得てますか?
わたしは2008年から骨花プロジェクトをしていますが、発表するようになってからまだ2年たっていません。最初は一人もいなかった理解者も少しずつ増えてきました。また、ギャラリストなどのまわりの協力者にもすごく助けられています。そして、本物の骨だという珍しさだけでなく、土に還すまでふくめたコンセプチュアルな行為として、骨花に深い理解をもってくれる人も増えてきました。
はじめは宗教観、死生観の違いから異なる反応があるかと考えていましたが、いまのところその違いは感じられません。むしろ同じネット社会に生きる共通の反応を興味深く思います。今後はもっと海外での展示の機会を持ち、また写真集も出版したいと思っています。
News Website
2013年6月20日
by Jaymi Mccann
メディア
News Website
2013年6月4日
メディア
News Website
2013年5月31日
グループ展
2013年5月21日-7月20日
DA-END
パリ
アートフェア
2013年4月19日-22日
ブリュッセル,ベルギー
個展
2013年4月5日-20日
LOWER AKIHABARA. ( 東京 )
アートフェア
2013年4月3日-7日
ニューヨーク
プロセス / 写像を残す
2013年3月
プロセス / 写像を残す
2013年3月
プロセス / 花を作る
2013年3月
メディア
TV
2013年3月1日
フジテレビ
プロセス / 花を作る
2013年1月
テキスト
私のアートワークは「骨花(ほねばな)」といいます。
死んだ動物から骨をとりだし、その骨で花を作り、写真を残す。そしてそのあと、骨の花は壊して土に埋葬します。
なぜそんなことをするのか。自然には秩序あるサイクルがあります。冬のあとに、春がくる。花が咲き、枯れる。朝があり、夜がある。命は土に還り、新たな生にうまれかわる・・・。
私のアートワークは自然のサイクルとそれを同期させる試みです。
アートフェア
オクトーバー・サイド 2012年10月27日-30日
スパイラルガーデン
プロセス / 花を作る
2012年10月
プロセス / 壊して、土へ還す
2012年10月
グループ展
2012年9月22日-10月13日
Gallery YUKI-SIS
プロセス / その後
2012年8月20日
(Kさんより)
時期が遅かったので心配していた骨花朝顔、やっと1輪目が咲きました。先日のアート茶会のコンセプトの一環で、この土には茶会で愛で、皆で壊した徳重秀樹さんのアート作品「1輪の朝顔」の破片が埋まっています。
花が蕾みを持ってからの変化は本当に目まぐるしくて、いつも驚かされます。
テキストアーカイブ
茶道とのコラボを頼まれ、「アサガオ」を作ることにした。千利休の有名な「一輪の朝顔」の説話をふまえたものだ。あるとき秀吉は、利休の庭にいい朝顔が咲いていることを聞いた。行ってみると、一輪も咲いていない。茶室に入ると床の間に朝顔が一輪だけ入れてあったという。
花とは一瞬の生のあらわれだ。利休は自然の中に咲く朝顔をすべて取り除き、人工的な空間にひとつ置いた。累々たる死の上に、ただ一つの生を置いた。茶は取り澄ましたものではない。戦国の血なまぐさい時代に隆盛をきわめた。すぐ隣に死があった。
茶会では「アサガオ」を鑑賞後、参加者の手でバラバラにしてもらった。そのあと、骨片を朝顔の種と同封して送り、それぞれ種と共に植えてもらった。参加してくれた方々からは、咲いたという便りがたくさん返ってきた。骨花の形もなくなったが、咲いた花から取れた種は来年も、そのまた次の年も花を咲かせるだろう。「アサガオ」は続いていく。
骨を取り出し、花をつくり、写像をのこし、壊して埋めるまでが一つの作品、という骨花の一連のプロセスが、必然としておさまる理想的な形になった。
本
SNAPPP Publishing Inc.
台湾
2012年7月
イベント
Melting Point -茶の湯とアート、即興舞-
2012年6月24日
Gallery YUKI-SIS
テキストアーカイブ
アジサイは雨の花だ。雨季に咲く。
制作中になんども近所に咲いてるアジサイを見に行ったので、どこにはどのアジサイが咲いているかすっかり把握した。いろんな種類があり、近所のアジサイだけも色や、その色のトーン、花の大きさ、形、葉っぱの大きさ、すべて違っていた。
アジサイの外見はしっていても、花のつき方とか造りは知らなかったことに気づいた。また、アジサイには装飾花と実際の花の2種類あることなども初めて知った。
花は127匹分のマウスの肩甲骨を使用した。
骨花を組み立てるとき、まずその花を観察することから始める。植物の場合、今日の姿と明日の姿は違う。花びらをこう拡げていきたいとか、枝葉をこう伸ばしていきたいという明日への意思が構造に表れている。目のまえのアジサイは今のところこんな風な姿をしてるけど、これからこうゆう風な姿に自身をもっていきたいんだ、だから今はこんな姿をしているのか。というその意思がつかめたら、その花は作りやすくなる。
初めて葉っぱを、なめした毛皮で作った。「カーネーション」で使った白ではなく、薄茶のトーンのついた毛皮で作ることにした。これまでの作品と比べるとしっとりと落ち着いた感じになり、梅雨に咲くアジサイらしさがうまく出た。
グループ展
2012年6月16日-30日
Gallery YUKI-SIS
プロセス / 花を作る
2012年6月
テキストアーカイブ
作品を発表するということはどういうことなのか、ギャラリー展示とかアート作品鑑賞というのではない骨花の行為や過程の別のありかたについて、考え直してみたかった。
花が咲いて、散るという自然の循環リズムと、骨花行為をいちど同期させてみたい。そんな思いから、骨花「サクラ」は誘ってもらったお花見に持参した。「サクラ」には、満開の桜が舞い散る下での展示がふさわしいと思った。骨花の一期のはかなさを、同席した方と共有してみたかった。
日本語の冬は「フユ(増ゆ)」、春は「ハル(張る)」なのだという説を聞いたことがある。冬場に一見すると動きのない山の木々は、しかしその内側で自然エネルギーを蓄積する(増ゆ?冬)。そしていっぱいに充満したところでパーンとはじける(張る?春)。
桜咲く時期にはいつもそのことを思い出す。
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2012年4月
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2012年4月
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2012年3月
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今回、初めて骨だけでなく毛皮も使用した。
同じネズミから取り出した毛皮で花瓶を作り、骨ではカーネーションを3輪作った。普段、ファーのついたコートなど着ていても、毛皮の作り方を僕たちは知らない。
腐ったり毛が抜けないようにする工程が「なめし」。なめしたあとの毛皮は乾燥すると硬くなり縮む。その作用を利用して花瓶を作ったが、毛皮だけで形作ることに苦心した。
ぼくたちの社会にはいろんな線引きが存在する。
骨取りには煮る工程がある。始めたときに、専用のなべを料理用とは別に用意した。だが次第に、なぜ分けているのかの線引きがあやふやになってきた。料理用のなべでは牛やブタの肉を煮る。骨取り用のなべでネズミを煮る。なにが違うんだ?片やおいしいと思い、片や気持ち悪いと感じる。南米ではラットの丸焼きをごちそうとして食べる。文化で線引きは変わる
文化の線引きは固定ではない。揺れ動く。ARTには、その線引きに揺さぶりをかけ顕在化できる力がある。
骨を取り出したあとそのマウスの毛皮で花瓶も作った。土に還すため、支材は使用していない。なめした毛皮だけでかたちづくっている。
はじめてなめしの方法を知った。本来は人類にとって、太古から生きるうえで知っていて当然の知識だったはずだ。いかに自分がなにも知らないか、制作をしているとよく気付かされる。
「カーネーション」は台湾で展示した。はじめての海外展示だったが思った以上に受け入れてくれた。
「骨花」のコンセプトにはぼくの死生観があらわれている。生きていくなかでぼくたちはたくさんの別れを経験する。別れはつらいが、亡くなった人は死んだあとも心の中で生き続ける。肉体もまた土に還り、花や草や水などの一部となり流転する。死は終わりではない。
骨で組み立てている時は、あたまも心も空っぽになれる。手を動かしていると無心になれる。人間社会の中で生かされたり殺されたり利用されている動物を、ぼくは扱う。ぼくたちの世もまた、生きづらいことやうまくいかないことも多い。美しくしてあげたい。美はそれ自体が力だ。
アートフェア
2011年12月15日-18日
台北, 台湾
海外での展示なので大きなものは運べず、飛行機で預けられる大きさに折りたためるテントを自作して持ち込んだ。
天井の高さが分からなかったので、調整できるようにした。
テントは、撮影用アンブレラとライトスタンドの組み立て式。
生活空間から区切りをつけるため、白い布で囲んだ。
その中におさめた骨花「カーネーション」とその写真。
写真は等身大。
初日は床に直置きし、2日目から机を使ったが、直置きの方がよかったか・・・
ホテルフェアだったので、花瓶さしに。
海外の人に骨花のプロセスをより伝えやすくするために、フォトパネルで動画を流してみた。
台湾、すごくよかったので機会があればまた展示したい。
PHOTO TAIPEI 2011 會前簡單看 - Photo Online-攝影線上 >>
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テキストアーカイブ
2011年の秋まで一度も発表したことがなかった。展示のあてもなく先が見えない自宅とフォークリフトの職場との往復の日々。
そこに在るだけで美しい本質的なものを残したい、という一念だけで制作を続けていた。ペットのえさとして人間の都合で生かされたり殺されている冷凍ネズミに対して、次第に自分を投影していた。せめて美しくしてあげたいと願った。
初めてほかの人に見せることができたのがこの「ツツジ」だった。
子供のころから物作りが好きだった。図工とかプラモとか、お菓子の空き箱でロボット作ったり、なんでも・・・。
今の時代、どんなものでもインターネットで調べたら作り方が分かる。マニュアルのないものを作りたくなった。まだ誰もしてなくて、でも奇をてらってなくて、かつ普遍的なもの。
雄しべがマウスの手、雌しべは足。
骨花も4作目になると、始めたころにあった解剖の気持ち悪さは消えた。
最初に骨をとりだしたのは、2004年。新聞配達をしていた早朝、道に死んでいたタヌキだった。素手で触ることもできなかった。タヌキの目には白目がある。実家の愛犬イッサの目にみえて顔を見ることもできなかった。
博物館が好きだ。骨花を始めるまえ、上野の国立博物館にいった。時系列に添った展示になっている。宇宙の誕生からはじまり、地球ができ、生命があらわれ、進化していく。しばらく行くと、石器が展示してあった。人類による初期の道具。すごく美しかった。作った彼に名前があったのかは知らない。ただ、途方もない年月をへて、いまぼくが彼の作ったものに感動する。こういうものを作りたいと思った。言葉もなにも通じない彼に見せても通じるようなものを作りたい。
「ツツジ」を埋めた。
土地により風土は違う。吹いてる風、土の手触り、乾燥してるか、湿っているか、季節や気候…。風土が変われば文化も変わる。文化が変われば営みも変わる。海中に生まれた生命は、陸にあがってからも環境となんとか折り合いをみつけて今に至った。環境が営みを変えたともいえる。
生命は生きては死んで土に還り、土と風と水のあいだをぐるぐる流転している。その風土を、そっと形がくずれないように取り出せれば、根源に近づける。
受賞
2011年10月2日
アートイベント
2011年9月30日-10月2日
ラフォーレミュージアム六本木
初めての「骨花」のお披露目。
作品がたくさん並ぶ雑多的な会場なので、空間を区切りるため、外からはなにがあるか見えない展示にした。
ブースをベニヤ板で囲んで、そっけなく、仮設風に。
ベニヤの入り口を入ると、奥に隠れるように、コの字で区切られた白壁のスペース。
壁は漆喰風に仕上げた。
最初に目に入るのは、壁にかかる写真。
目線を下にやると・・・
足元にある。
壁を見てて足元に気づかない人もいて、何度か踏まれそうになった。
床に直置き。
会場に行くまで、床の材質も色も分からなかったから、展示の案をいくつか準備していた。
骨花が映えるグレーのカーペットだったので、床置き案にした。
7輪のツツジ。
その横に、冷凍ネズミの写真。
課題もたくさん見つかり、他の出展者との交流もすごくはげみになった。
プロセス / 花を作る
2011年6月
テキスト
なぜ骨を使うのか?気持ち悪いと思うひともいるでしょう。
人類が絵画や彫刻などの創造的な活動をはじめたのは、7万年前にさかのぼるそうです。
ヒトの骨との付き合いは古く、そのころの地層から獣骨の加工品もみつかっています。
人類の歴史はモノ作りの歴史です。7万年かけて人類はモノを作り続けてきました。
私たちの服も原発もインターネットも、今の生活はすべて骨を加工した祖先の指先にはじまります。
また人類は太古から、死者に花をたむけてきました。
3万年前に絶滅したネアンデルタール人の埋葬された骨のそばからは、
取り囲むように当時の花粉がみつかっています。
旅ゆく仲間を見送りながら、彼らは花にどんな祈りを込めたでしょう。
太古から肉を食べ、毛皮や革製品を使用してきた私たち。
しかし今、生活の中で骨にふれる機会はほとんどありません。
私たちもみないずれ骨となり、土へ還ります。
先のみえない今だからこそ、根源的なところへ立ち返り、骨についてあらためて考えてみることは、
不確かな自分の足元を見つめ直すことにもつながるのではないでしょうか。
本
2011年1月第1版
1000部
プロセス / 写像を残す
2010年7月
プロセス / 写像を残す
4x5インチの大型フィルムカメラを使用
骨や毛皮について/
ヘビやフクロウなどのペット用のエサとして、冷凍ネズミ(マウスとラット)というものがペットショップで売られています。その冷凍ネズミを一匹一匹解体し、骨や毛皮を取りだして「骨花」を作っています。
無菌下のゲージの中で一生を終えペットのエサとなる冷凍マウスは、都会に住むわれわれ現代人の自然観、生命観をよくあらわしています。
テキスト
「美しく、土へ還す」をテーマとし、いずれは枯れる一瞬の生のあらわれとしての花の姿を、死する動物の骨や毛皮で模した造花「骨花」。
写像を残したら、「骨花」は壊して土に還す。
テキストアーカイブ
動物と植物は、太古に分かれ、それぞれに進化をとげた。最初に植物が海から陸上に上がり、しばらくして動物も上陸した。
進化の過程は異なるが、陸上では重力に対し体を構造で支えなければならないのはどちらも変らない。
植物は地面に根を張って体を支え、動物は骨格や外骨格で支える道を選んだ。
上の頭蓋骨はつぼみを模した。
小さい画面ではよく見えないが、茎を表現した背骨の中程と下方に二ヶ所、骨盤がそのまま残してある。
マウスの解体をしていると、哺乳類の背骨はこんなにも湾曲しているのかと驚く。
魚類や爬虫類とくらべると、背骨がゆがみ無理がきている。
ヒトはこの背骨で直立し、さらに重い頭を乗せているのだから、肩こりにならないほうがおかしい。
室内撮影は自宅で行う。二階建ての古い一戸建て。
その一階が制作の場。骨取り、組み立て、撮影、フィルム現像、プリント・・・すべて同じ部屋で行う。
写真作業のための窓を目張りした暗い部室で制作していると、時間の感覚がなくなる。いつの間にかフォークリフト仕事の出勤時間になりよく慌てる。
ユリのつぼみを見ると、これから開く花びらの質量感が内側にぎっしり詰まっている。
開花した花とはまた違う自己主張の強さ。
ラットの頭蓋骨を使用。
六本ある雄しべのお先に付いているのは、マウスの小さな骨盤。雌しべは下足のすねの骨。
「立てばシャクヤク、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というが、交配品種の多いユリの花の造形は、どこか人工の香りがする。
ネズミもヒトも同じ哺乳類なので、つくりは似ている。
以前、養殖マウスではなく、駅前ロータリーの茂みで死んでいた野生マウスの骨を取り出したことがある。
骨の印象がまったく違った。
老死だったんだろう、骨の節が太く、生前の苦節とたくましさを偲ばせた。
家のすぐそばに運河がある。制作の合間によくその土手にいく。
風が吹き、葉っぱがゆれて、川が流れ、アリが茎をのぼる。オレが死のうが生きようが関係なく、世界はある。「自然」という言葉にこの感覚がいちばんしっくりくる。
テキストアーカイブ
骨花は、接着しているだけなのでもろい。構図を決め、露出を計り、ピントを合わせて、いざ撮影しようとしたら風が吹き、倒れてバラバラ、ということも多々。このときは、曇り空でなかなかシャッターを押せなかった。一瞬だけ陽が差し、ピントグラスに逆さのヒガンバナが浮かび上がった。風が吹かないことを祈りながら、息を止めてシャッターを押した。
ヒガンバナは不思議な花だ。お彼岸になるといつの間にやら咲いている。地域ごとに異名も多い。
マンジュシャゲ(曼珠沙華)もそうだが、ソウシキバナ、オバケバナなんて呼ぶところもあるらしい。英語の別名はスパイダー リリー(Spider Lily)…納得。
解剖を始めたころ、手と目になかなか慣れなかった。普段の生活でぼくたちはほんのちいさな変化から感情を読み取っている。手と目にはとくに表情があらわれる。微細な変化を感知する。目の前の死んでいる相手に対してもそれを読んでしまう。
韓国ではヒガンバナのことを「想思華」というらしい。一般的な花と違い、花が咲くときは葉がなく、葉が生える期間は花が咲かない。なかなかあえなくてもお互いのことを思い想っている、ということからついたのだという。
ヒガンバナの骨花を埋めた。
埋めた骨は土へかえり、また別の草や虫になる、湿り気になる、光になる・・・。
死のない土地には、花も咲かない。
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骨でなにをつくろう・・・。
2008年の冬の夕暮れ、銀座に用事があり四丁目の交差点に通りかかったところで、雨が降ってきた。
雨宿りのため近くのドトールに入り、二階の窓から交差点を眺めていた。
雨脚が強くなり黒く濡れるアスファルト、行きかう車と反射するテールランプ、
駆け足の歩行者。
その間に開く、色とりどりの傘・・・。
雨の交差点に、〈骨のハス花〉が咲くのが見えた。
骨で花を作り始めた当初は、すべて手探りだった。
どうしたら骨だけで、削ったりせず、花が作れるか・・・。どうしたら花に、葉に見えるか・・・。
あるのは漠然としたイメージだけ。静謐で、ピアノソロ曲のような、博物館の石器のような・・・
撮影は通称シノゴと呼ばれる大型カメラを使う。
子供のころクラスの集合写真のときには、来た写真屋さんが黒い布をかぶって使ってた。
刷りガラスに逆さにうつる像をみながら、じっくりとアオリでピントの場所を調整して撮影できるのが好きだ。
ハスの花の中央には、特徴的なかたちをしたカタク(花托)という突起物がある。そのカタクを、マウスの頭蓋骨を六つ並べて表現してみた。
最初のころは撮り方に悩んだ。
骨という動きのないもので花を表現する難しさ。
画面に風が吹いていない。
どうしたら写真に風が吹くんだろう・・・
ハスの中央のカタクには、花びらが散った後、穴の一つ一つに実ができる。
頭蓋骨のカタクと、それを支える下顎骨。
たくさんある雄しべは肋骨。
骨花は、撮影したら壊して土へ返す。
水面に開花するハスの骨花は、池に沈めた。
ゆらゆらと沈んでいく骨の破片は、思っていたより早く沈んだ。